社会的アイデンティティ理論――「私」が「われわれ」に変わるとき

1 社会的比較から集団間比較へ

社会的比較理論では、人は自分の能力や意見を評価するために他者を参照すると考えた。しかし、人間が行う比較は個人間にとどまらない。「私は彼より優れている」「私は彼より劣っている」という比較だけでなく、「われわれは彼らより優れている」「自分たちの集団は不当に低く扱われている」といった集団間比較も頻繁に行われる。ここで問題になるのが、なぜ人は自分の所属集団の評価を、自分自身の評価と結びつけるのかということである。自分自身が直接批判されていないにもかかわらず、所属する学校、会社、地域、国家、職業集団などを批判されると、不快感や反発を覚えることがある。反対に、自分が属する集団が高く評価されれば、自分自身まで肯定されたように感じる場合もある。この問題に体系的な説明を与えたのがHenri TajfelとJohn Turnerによる社会的アイデンティティ理論である。

社会的アイデンティティ理論の核心は、自己概念には個人的アイデンティティだけでなく、「自分はどの集団に属しているのか」という社会的アイデンティティが含まれるという点にある。人は単に「私は私である」と認識しているだけではなく、「私は日本人である」「私はこの大学の学生である」「私はこの会社の社員である」といった社会的カテゴリーを自己概念に組み込んでいる。したがって、集団の成功や失敗、威信や評価は、個人にとって外部の出来事ではなく、自己評価の一部として経験される。

2 Tajfelと最小条件集団実験

社会的アイデンティティ理論の研究史で最も有名なのが、Tajfelらによる最小条件集団実験である。Tajfelらが問うたのは、集団間差別を生み出すためには、長年の対立、資源争奪、民族差、宗教差などが本当に必要なのか、それとも人を単に「こちら側」と「あちら側」に分類するだけでも、内集団びいきが生じるのかという問題だった。

そこで研究者たちは、互いに面識のない参加者を、絵画の好みなどのごく些細な基準で二つの集団に分けた。分類自体には実質的な意味がほとんどなく、参加者同士に過去の対立も将来の利害競争もなかった。それにもかかわらず、参加者は自分が割り当てられた集団の成員に、外集団より有利な資源配分を行う傾向を示した。さらに興味深かったのは、内集団の絶対利益を最大化するよりも、外集団との差を大きくする配分が選ばれる場合があったことである。ここでは「自分たちがどれだけ得るか」だけでなく、「彼らよりどれだけ上にいるか」が重要になっている。

この結果は、Festingerの社会的比較理論ときれいにつながる。社会的比較が個人の自己評価を相対的位置によって形成するなら、社会的アイデンティティ理論では、所属集団の価値もまた他集団との比較によって決まる。自分の集団を他集団より有利な位置に置くことが、自分自身の肯定的な社会的アイデンティティにつながるのである。

3 社会的カテゴリー化

社会的アイデンティティ理論を理解するには、カテゴリー化という認知過程を押さえる必要がある。人間は社会世界を無限に細かい個人差として認識しているわけではない。男性と女性、若者と高齢者、自国民と外国人、文系と理系、管理職と一般社員など、さまざまな社会的カテゴリーを用いて他者を整理する。カテゴリー化は情報処理を効率化するが、その一方で、同じカテゴリー内部の差異を小さく見せ、異なるカテゴリー間の差異を大きく見せる傾向を生む。

すると、実際には多様な個人からなる集団であっても、「彼らはみな同じだ」という認識が生じやすくなる。ここからステレオタイプ形成への道が開かれる。カテゴリー化は単なる分類ではなく、その後の評価、感情、行動の前提になるのである。

4 社会的アイデンティティと肯定的独自性

Tajfelの定義では、社会的アイデンティティとは、自分が特定の社会集団に所属しているという認識と、その所属に付随する価値的・感情的意味から成る。つまり、「私はA集団の一員である」という認知だけでは足りず、「A集団に属することは誇らしい」「A集団は社会から不当に扱われている」「A集団の成功は自分にも関係がある」といった評価や感情が付随する。

社会的アイデンティティ理論では、人は肯定的な自己概念を維持しようとすると考える。社会的アイデンティティが自己概念の一部であるなら、自分が属する集団についても肯定的評価を得たい。ここから「肯定的独自性」という考え方が出てくる。単に「われわれも悪くない」と思うだけでなく、「われわれは彼らとは異なり、その違いには価値がある」と認識することによって、肯定的な社会的アイデンティティを維持しようとするのである。

このとき、比較対象は無作為に選ばれるわけではない。学力、地域、伝統、社会的威信などが近い集団ほど比較対象になりやすい。したがって、集団間敵意は必ずしも非常に遠い相手に向かうとは限らず、むしろ似ていて比較可能性の高い集団同士で強くなることがある。ここには、前冊で扱った社会的比較理論との連続性がはっきり表れている。

5 内集団びいきと外集団攻撃

内集団びいきが存在するからといって、必ず外集団への積極的攻撃が生じるわけではない。自分の仲間を少し優遇することと、外集団を意図的に害することは別の行動である。最小条件集団研究は、内集団への好意的配分が比較的容易に生じることを示したが、それだけで現実世界の強い敵意、迫害、暴力まで説明できるわけではない。

現実の外集団攻撃を理解するためには、資源競争、脅威認知、道徳化、感情、権力関係などを組み合わせる必要がある。したがって、社会的アイデンティティ理論の重要性は、「人間は単に自分の利益だけを追求する存在ではなく、自分の集団が相対的に有利であること自体にも価値を感じる」という点を示したことにある。

6 低地位集団の戦略

自分が属する集団が社会的に低い評価を受けている場合、人は複数の戦略をとり得る。集団間の境界が越えられると認識されるなら、低地位集団を離れて高地位集団へ移動しようとする個人的移動が可能になる。集団境界を越えることが難しい場合には、比較軸そのものを変更する社会的創造性が用いられることがある。たとえば、「彼らの方が所得は高いが、われわれの方が人間関係は豊かだ」「彼らの方が学力は高いが、われわれの方が実社会を知っている」といった形で、新しい評価軸を作る。さらに、既存の地位関係そのものを変えようとする社会的競争という戦略もある。

どの戦略が選ばれるかは、集団境界の透過性、地位関係の正当性、その地位秩序が安定しているかどうかに影響される。この点は、後に相対的剥奪や集合行動研究へ接続していく。

7 正当性と安定性

高地位集団が上位にいることを当然と感じる場合と、不当に優遇されていると感じる場合では、低地位集団の反応は大きく異なる。地位差が正当で安定していると考えられているなら、大規模な集団競争は起こりにくい。しかし、その地位差が不当であり、しかも変えられると考えられるようになると、集団間競争が強まる可能性がある。

ここで重要なのは、客観的格差そのものではなく、その格差がどのような意味を持つと認識されるかである。同じ所得差でも、「努力の違いだから仕方がない」と認識される場合と、「制度的な不公平によって生まれた差だ」と認識される場合では、感情も行動も異なる。後の相対的剥奪研究やシステム正当化理論では、この認識の違いがより精密に扱われることになる。

8 自己カテゴリー化理論への発展

1980年代になると、John Turnerらは社会的アイデンティティ理論をさらに認知的に発展させ、自己カテゴリー化理論を構築した。社会的アイデンティティ理論が「なぜ集団間比較が起こるか」を中心に扱ったのに対し、自己カテゴリー化理論は、「人はいつ自分を個人として認識し、いつ集団成員として認識するのか」を詳しく説明しようとした。

人間には複数の自己カテゴリーが存在する。ある場面では「私は田中である」という個人レベルの自己認識が前面に出るが、別の場面では「私は日本人である」「私は教師である」「私はこの会社の社員である」という集団レベルの自己認識が前面に出る。どのカテゴリーが顕著になるかは状況によって変化する。社会カテゴリーの顕著性が高まると、人は自分自身をそのカテゴリーの典型的成員として認識する傾向を強める。これを自己ステレオタイプ化と呼ぶことがある。

9 脱個人化と集団規範

自己カテゴリー化理論には「脱個人化」という重要な概念がある。これは人格が消失するという意味ではなく、自分自身を唯一無二の個人としてではなく、あるカテゴリーの典型的な成員として見るようになることを意味する。

平常時には「私は○○という個人である」という自己認識が強くても、国際試合では「私は日本人である」、職場紛争では「私は管理職である」「私は労働者である」というカテゴリーが前面に出る。このとき、自分の行動基準も個人的好みより集団規範に近づく。

ここから、集団同調や集団規範が単なる外部からの圧力ではなく、自己認識そのものの変化によって生じ得ることが分かる。人は「周囲に強制されている」だけではなく、「自分はこの集団の一員なのだからこうするのが自然だ」と感じるようになることがある。

10 組織文化への接続

自己カテゴリー化理論は、組織文化を考えるときにも重要である。ある組織で「われわれはこういう人間だ」「この組織ではこれが正しい」「外部の人間には分からない」といった共有カテゴリーが形成されると、新しく入った成員もその規範を学習し、自分自身をその集団の一員として理解するようになる。結果として、個人が入れ替わっても、組織特有の判断様式や感情反応が持続する場合がある。

これは「組織に一つの脳がある」という意味ではない。自己カテゴリー化と集団規範が個々の成員を通じて再生産されるため、集団レベルで比較的安定した認知・感情・行動パターンが形成されるのである。この観点は、企業、官僚組織、軍隊、宗教集団、政党、メディア組織などを分析する際に重要になる。

11 集団感情への発展

社会的アイデンティティが自己概念に組み込まれると、感情にも集団レベルが生まれる。自分個人が侮辱されていなくても、自分の集団が侮辱されたと感じれば怒ることがある。自分自身には直接の利益がなくても、内集団の成功を誇らしく感じることがある。自分が被害を受けていなくても、外集団を脅威と認識すれば恐怖や敵意を持つ場合がある。

このような問題は、後に集団間感情理論へ発展する。ここで社会心理学の流れは、社会的比較から社会的アイデンティティ、集団評価、集団感情、集団行動へと一段明確になる。

12 SCMとBIAS Mapへの接続

社会的アイデンティティ理論だけでは、外集団に対してどのような種類の感情が生じるかまでは細かく分類しない。そこで後にSCMが重要になる。社会的アイデンティティ理論が「なぜ相手を『彼ら』として見るのか」を説明するなら、SCMは「その『彼ら』をどのような集団として評価するのか」を説明する。さらにBIAS Mapでは、その評価がどのような感情と行動へ結びつくのかが扱われる。

この三者を連結すると、社会的カテゴリー化によって内集団と外集団が成立し、集団間比較を通じて相手の地位や競争性が評価され、その評価が温かさと能力の認知へ結びつき、尊敬、羨望、哀れみ、軽蔑といった感情を経て、協力、回避、妨害、攻撃などの行動傾向へ進むという一連の流れが見えてくる。

13 現実的集団葛藤理論との関係

ここで次に扱うSherifの現実的集団葛藤理論との違いを押さえておく必要がある。現実的集団葛藤理論では、希少な資源や目標をめぐる現実的な利害対立が、集団間敵意を生む重要な原因と考える。一方、最小条件集団実験の衝撃は、明確な資源争奪がなくても内集団びいきが生じたことにある。

したがって、「対立には現実的な利害が必要である」という説明だけでは足りない。しかし逆に、「カテゴリー化だけですべての集団紛争を説明できる」わけでもない。現実社会では、カテゴリー化、資源競争、地位差、歴史、脅威認知、感情などが重なっている。TajfelとSherifは競合する理論というより、異なる水準を扱う相補的な理論として学ぶ方が理解しやすい。

14 社会的アイデンティティ理論の意義

社会的アイデンティティ理論の最大の意義は、人間が個人としてだけ生きているわけではないという、ごく基本的な事実を心理学の中心問題として扱ったことにある。人は「私が得をしたか」だけで行動するわけではなく、「われわれが彼らよりどう扱われているか」にも強く反応する。

しかも、その「われわれ」は固定されていない。家族、地域、職業、会社、大学、性別、世代、国家など、状況によって異なるカテゴリーが前景化する。したがって、人間の社会行動を理解するには、個人の性格や利益だけでなく、その瞬間にどの社会的カテゴリーが自己概念として働いているのかを見る必要がある。

ここから社会心理学は、個人心理から本格的な集団心理へ入っていく。そして次に必要になるのが、「内集団と外集団の間に、本当に利益の衝突が存在すると何が起きるのか」という問題である。この問いを実験的に追ったのがMuzafer Sherifであり、次冊では現実的集団葛藤理論とRobbers Cave実験を扱う。