「いみじ」のコアイメージは「限界突破(ヤバい)」になりますが、それでは、なぜこの言葉が限界突破を意味するようになったのかをお話します。その最大の鍵は、この言葉の「語源」にあります。

「いみじ」という形容詞は、動詞「忌む(いむ)」が形容詞化した言葉です。

この事実を知るだけで、古文の解像度はもう一段階、劇的に跳ね上がります。

「忌む」とは、タブーへの「畏れ」である

「忌む」とは、単に「嫌う」「避ける」といった軽い言葉ではありません。

それは、神聖すぎるもの、あるいは不吉すぎるものに対して、普通の人間が迂闊に近づいてはいけない、触れてはいけないと「タブー(禁忌)視する」ことです。

圧倒的な神の力や、大自然の脅威、あるいは祟りをもたらす怨霊。人間の小さな理屈など通用しない、次元の違う圧倒的な存在に対して、当時の人々が抱いた「畏れ(おそれ)」の感情。それが「忌む」の正体です。

そこから生まれた「いみじ」の本来の意味は、「忌まわしい」「畏れ多い」「(異常すぎて)近づきがたい」というものでした。

なぜ「恐ろしい」が「すばらしい」に反転するのか?

では、なぜその「近づいてはいけないほど恐ろしい(いみじ)」という言葉が、古文の中で「すばらしい」という最高の誉め言葉として使われるようになったのでしょうか。

ここには、人間の感情の極めて本質的なメカニズムが働いています。

私たちは、あまりにも圧倒的な美しさや、完璧すぎる才能を目の当たりにしたとき、単なる感動を通り越して、ある種の「恐怖」「息苦しさ」を覚えることがあります。

「この人はすごすぎて、なんだか怖い」

「この景色は美しすぎて、この世のものとは思えない(=自分が触れてはいけない気がする)」

日常の枠組みを完全に破壊してくる「圧倒的なもの(美や才能)」に出会ったとき、平安貴族の心には「忌む(=畏れ多い、近づきがたい)」という感情が湧き上がりました。それが転じて、「(恐ろしいほど)すばらしい」という、言葉の限界を超えた最大級の賛辞として使われるようになったのです。

現代の「えぐい」「鬼」「バケモノ」と同じ精神構造

現代の私たちが、最高のパフォーマンスを見たときに「えぐい」「あの人はバケモノだ」「鬼かわいい」などと、本来マイナスや恐怖を表す言葉を使って称賛するのと、精神構造はまったく同じです。

「とても素晴らしい」という行儀の良いプラスの言葉では、その凄まじさを表現しきれないからです。

「いみじ」=「すばらしい/ひどい」と無機質に暗記するのではなく、「いみじの語源は『忌む』である」という事実を知ること。

それは、千年前に生きていた人々が、圧倒的な対象を前にして足がすくみ、言葉を失い、「これは人間が触れてはいけない領域だ(忌むべきものだ)」と震えた瞬間のリアリティを、時を超えて追体験することに他ならないのです。