前の記事では、「ノーブランド大学でも高卒よりはまし」という考え方の危うさについて書きました。

大学名が就職市場でほとんど評価されず、資格や専門職にもつながらず、卒業後の賃金も見えにくい。それにもかかわらず、教育ローンや有利子奨学金を使って進学するなら、20代・30代に返済負担が重くのしかかることがあります。

しかし、この話は、学力偏差値が低い人は大学を諦めろという意味ではありません。

そこを間違えてはいけません。

問題は、偏差値が低いことではありません。

問題は、目的がないまま、「とりあえず大卒」という言葉だけで借金を背負うことです。

逆に言えば、大学で何を学びたいのか、将来どのような仕事につきたいのかがはっきりしているなら、大学名のブランドだけで進学を諦める必要はありません。

目的がある進学は、学校歴とは別の意味を持つ

大学には、二つの意味があります。

一つは、学校歴としての大学です。

旧帝大、早慶、上位国公立、MARCH、関関同立のように、大学名そのものが就職市場で読まれる大学です。

もう一つは、目的達成のための学習環境としての大学です。

資格を取りたい。法律を学びたい。福祉や教育に進みたい。心理、建築、情報、医療、地域行政に関わりたい。そうした具体的な目標に近づくための場所として大学を使う場合です。

この二つは、同じ大学進学でも意味が違います。

前の記事で問題にしたのは、学校歴としても弱く、資格や職業にも接続せず、それでも「大卒なら何とかなる」と信じて借金して進学する場合です。

しかし、目的があるなら話は違います。

大学名のブランドが強くなくても、そこで学ぶ内容が自分の進みたい仕事に結びついているなら、その進学には意味があります。

法律の世界は、学校名だけで決まらない

たとえば、法律関係の仕事を考えてみます。

法律の勉強には、英語、数学、理科の得意不得意とは違う能力が必要になります。もちろん、基礎学力は必要です。法律資格は簡単ではありません。

しかし、法律の試験で中心になるのは、日本語の条文を読み、制度を理解し、事例を筋道立てて考える力です。

英語が苦手でも、数学が苦手でも、理科が苦手でも、日本語の読解力があり、文章を正確に読み、論理を追う力がある人には、法律の世界に向いている可能性があります。

司法書士試験は、受験資格の制限がなく、誰でも受験することができます。もちろん、難関試験であることは間違いありません。しかし、少なくとも大学名で入口を閉ざされる試験ではありません。

弁護士になるための司法試験には受験資格が必要ですが、そのルートには法科大学院課程の修了、司法試験予備試験の合格、法科大学院在学中の受験資格などがあります。

つまり、法律関係の仕事は、大学ブランドだけで決まる世界ではありません。

もちろん、東大法学部や有名大学法学部が有利に働く場面はあります。法律事務所の就職、企業法務、大手事務所、官庁、研究職では、学校歴が読まれることもあります。

しかし、資格試験そのものは、大学名で点をくれるわけではありません。

条文を読み、判例を読み、問題文を読み、答案を書く。

そこで問われるのは、最終的にはその人自身の読解力、記憶力、論理力、継続力です。

だから、学力偏差値が低いから法律の道を諦める、というのは早すぎます。

こうした分野は法律だけではない

法律以外にも、大学ブランドだけで決まらない分野はあります。

行政書士試験は、年齢、学歴、国籍等に関係なく受験できます。

宅地建物取引士資格試験も、日本国内に居住する方であれば、年齢、学歴等に関係なく、誰でも受験できます。

一方で、社会保険労務士試験のように、学歴、実務経験、一定の国家試験合格など、いずれかの受験資格を求める試験もあります。

つまり、資格や職業によって、必要な入口は違います。

だから大事なのは、「自分の偏差値で大学に行けるか」だけではありません。

自分が目指す仕事に、どの資格、どの学部、どの実務経験、どの学習環境が必要なのかを見ることです。

偏差値が低い人ほど、目的の有無が重要になる

偏差値の高い学校にいる生徒は、進路を広く保留できることがあります。

まだ目的がなくても、大学名そのものが一定の保険になる場合があるからです。

しかし、偏差値が低い高校から進学する場合、事情は違います。

大学名で勝負しにくいなら、なおさら目的が必要になります。

何を学ぶのか。

何の資格を取るのか。

どの仕事につなげるのか。

卒業後に、どの市場へ出るのか。

ここがはっきりしているなら、ブランド大学でなくても進学する意味はあります。

逆に、ここが曖昧なら危ない。

「大学に行けば何とかなる」

「高卒よりはまし」

「まだ働きたくない」

「親が行けと言うから」

「周りも進学するから」

このような理由で、学費と借金を背負うのは危うい選択です。

問題は、偏差値が低いことではありません。

目的がないことと、返済計画がないことです。

良い相談者が必要になる

ここで本当に大切になるのが、相談者です。

ただし、良い相談者は、夢を無条件に応援する人ではありません。

また、現実を振りかざして夢を潰す人でもありません。

良い相談者は、中途半端な希望に対しては、厳しい現実を伝えます。

その大学に借金して行って、卒業後にどの仕事につながるのか。

その資格は本当に取れるのか。

その仕事の賃金で返済できるのか。

高卒で働く道と比べて、何を得られるのか。

こうした問いを避けません。

しかし、強い意志がある子に対しては、ただ止めるのではありません。

法律をやりたいなら、まず国語力を鍛える。

行政書士、宅建、司法書士、司法試験では必要な勉強量が違うことを知る。

大学に行くなら、どの学部で何を学ぶかを決める。

大学名ではなく、資格試験と実務につながる勉強計画を立てる。

借金を減らすために、学費、通学、奨学金、働き方も考える。

こうやって、目標に向かう道を具体化します。

本当の相談者は、夢を飾りません。

しかし、夢を粗末にも扱いません。

中途半端な希望には現実を見せる。

強い意志には道筋を示す。

それが、進路相談のいちばん大事な役割です。

ただし、そういう相談者は得がたい

問題は、こうした相談者が簡単には見つからないことです。

学校の先生は忙しい。

大学の広報は進学をすすめる側です。

親は子どもへの期待や不安が強すぎることがあります。

友人は同じ年齢なので、見える範囲が限られます。

ネットには極端な成功談と失敗談が並びます。

「大学なんか行くな」

「とにかく大学へ行け」

「資格を取れば人生逆転」

「高卒は不利」

「Fランは無駄」

こういう単純な言葉はたくさんあります。

しかし、目の前の子の学力、性格、読解力、家庭の経済状況、地域の就職先、大学の学費、資格への適性まで見てくれる人は少ないものです。

だからこそ、進路を考えるときには、単純な言葉に飛びつかない方がいい。

大学進学を決める前に、何人かの大人に聞いた方がいい。

その大学の就職実績を見た方がいい。

資格試験の受験資格と難易度を調べた方がいい。

学費と返済額を計算した方がいい。

高卒で働く場合の進路も、同時に見た方がいい。

それでも「この道を進みたい」と思えるなら、その進学には意味があります。

結論

前の記事で言いたかったのは、大学に行くなということではありません。

「高卒よりは大卒の方がまし」という曖昧な言葉だけで、教育ローンや有利子奨学金を背負うのは危うい、ということです。

しかし、目的のある進学は別です。

学力偏差値が低くても、大学で学びたいことがある。

就きたい仕事がある。

取りたい資格がある。

そのために必要な勉強をする覚悟がある。

そういう場合には、大学ブランドだけで進学を諦める必要はありません。

むしろ、そういう人にとって大学は、学校歴を買う場所ではなく、自分の道を作る場所になります。

大事なのは、偏差値で夢を諦めることではありません。

大卒という言葉に逃げることでもありません。

自分は何をしたいのか。

そのために大学が必要なのか。

必要なら、どの大学で、何を学び、どの資格や仕事につなげるのか。

借金してでも進む価値があるのか。

そこを考えることです。

進学は、世間体で決めるものではありません。

偏差値だけで諦めるものでもありません。

目的と費用と道筋を見て、自分の人生に必要かどうかを考えるものです。

次回に続きます

ただし、この判断を若者本人だけに背負わせるのは酷です。

18歳前後の若者は、大学の就職市場価値、教育ローンの重さ、奨学金返済の現実、資格試験の難しさ、働き方の違いを十分に知っているわけではありません。

だからこそ、大人の側にも責任があります。

次回は、若者を「進学の客」として扱ってはいけないというテーマで、進路相談に関わる大人の責任について考えます。

中途半端な希望には厳しい現実を伝え、強い意志には道筋を示す。

そうした良き相談者であることが、若者の20代と30代を守るために必要です。