空間経済学と経済地理学の対立史|数式で空間へ踏み込んだ経済学

空間経済学、あるいは新経済地理学は、経済地理学の内部から自然に生まれた学問ではない。

むしろ、主流派経済学、とくに国際貿易理論の側から、「空間」へ踏み込んできた学問である。

そのため、この二つの関係は、単純な親子関係ではない。長く地域と産業を研究してきた経済地理学の領域に、数理モデルを武器にした経済学者たちが入ってきた。経済地理学者から見れば、それは自分たちの陣地に、別の学問が突然入ってきたようにも見えた。

いわば、同じ「地域経済」や「都市」を扱いながら、全く違う親から生まれた学問同士が、同じ場所でぶつかったのである。

1. 空間経済学の親は「国際貿易理論」だった

主流派経済学は、長い間、「空間」を扱うのが苦手だった。

経済学は、価格、賃金、需要、供給、企業、消費者といったものを、非常にきれいな数式で扱ってきた。しかし、そのために、しばしば「距離」や「輸送コスト」を単純化してきた。

どこで作るのか。
どこで売るのか。
そこまで運ぶのに、どれだけ時間や費用がかかるのか。

現実の経済では、これは決定的に重要である。ところが、数理モデルをきれいに解くためには、こうした空間的な条件は邪魔になる。だから、多くの経済学では、しばらく「空間」が脇に置かれていた。

その意味で、昔の経済学は、まるで「針の先の上で踊る経済学」のようなところがあった。広い土地も、道路も、港も、都市も、地方も、本当はある。しかし、モデルの中では、それらが消えてしまう。

そこに大きな風穴を開けたのが、ポール・クルーグマンである。

クルーグマンは、地理学者ではない。もともとは、国際貿易理論を専門とする経済学者である。彼は、国家間の貿易を説明するために発展してきた理論、特に独占的競争、規模の経済、輸送費用といった道具を使って、産業がなぜ特定の場所に集まるのかを説明しようとした。

ここで重要なのは、彼がいきなり何もないところから新しい学問を作ったわけではない、ということである。

その前には、新貿易理論があった。
古典的な立地論があった。
地域科学や都市経済学の蓄積があった。
産業集積や累積的因果関係についての議論もあった。

クルーグマンは、それらの先行する考え方を、主流派経済学の数理モデルの中で組み直したのである。

特に大きかったのは、輸送費用、規模の経済、市場規模を一つのモデルの中で扱った点である。

輸送費用が高ければ、企業は市場の近くに立地しようとする。
企業が集まれば、そこに雇用が生まれる。
雇用が生まれれば、人が集まる。
人が集まれば、市場が大きくなる。
市場が大きくなれば、さらに企業が集まる。

この循環によって、産業や人口が特定の場所に集まっていく。

つまり、都市や産業集積は、単なる偶然や歴史的事情だけではなく、経済的な力学としても説明できる。こうして、経済学者たちは、これまで扱いにくかった「空間」を、数理モデルの中に取り込んだ。

これが、新経済地理学、あるいは空間経済学と呼ばれる分野の大きな出発点である。

2. 経済地理学からの反発:「それは地理学なのか」

一方、経済地理学は、ずっと以前から、経済活動と場所の関係を研究してきた。

なぜこの地域にこの産業があるのか。
なぜこの港町は栄えたのか。
なぜある地域では繊維産業が発達し、別の地域では鉄鋼業が発達したのか。
なぜ企業、労働者、学校、商店街、交通網が、その場所でそのように結びついているのか。

経済地理学は、こうした問いを、歴史、制度、文化、労働市場、地域社会、企業間関係などを見ながら考えてきた。

そこに突然、経済学者たちがやってきて、「これからは新経済地理学だ」と言い出した。

伝統的な経済地理学者から見れば、これは面白くない。

「新しい経済地理学」と言われても、こちらはずっと前から経済地理学をやっている。地域の歴史も、制度も、企業の関係も、労働者の生活も、現地調査も、長い時間をかけて見てきた。

それなのに、経済学者たちは、地域を点と線に置き換え、複雑な現実を数式の中に押し込めてしまう。

経済地理学者から見れば、こう言いたくなる。

そのモデルには、生きた人間がいない。地域の歴史も、政治も、文化も、制度も薄い。数式の中に作った架空の都市を動かして、それを「地理学」と呼ぶのか。

この反発は、単なる感情論ではない。

経済地理学にとって、地域とは、抽象的な点ではない。そこには、過去から積み重なった産業の歴史がある。働き方がある。学校がある。家族の進路選択がある。商店街があり、道路があり、地元企業との関係がある。

それらを削ぎ落として、輸送費用、賃金、市場規模だけで説明すると、地域の重要な部分が消えてしまう。

だから、経済地理学者の側からは、新経済地理学は「経済学による地理学への侵入」のようにも見えた。かなり強く言えば、「経済学の帝国主義」に見えたのである。

3. 経済学者側の言い分:「事例だけでは法則が見えない」

しかし、経済学者側にも言い分がある。

彼らから見ると、伝統的な経済地理学は、地域ごとの事例研究に強い一方で、全体を貫くメカニズムを示しにくいように見えた。

この地域ではこうだった。
別の地域ではこうだった。
この産業にはこういう歴史があった。
この都市にはこういう制度があった。

もちろん、それは重要である。

しかし、それだけでは、「なぜ産業は集まるのか」「どの条件が変わると分散するのか」「輸送費用が下がると中心地と周辺地の関係はどう変わるのか」という一般的な問いに答えにくい。

経済学者から見れば、必要なのは、個別事例を超えて働くメカニズムである。

輸送費用が下がる。
市場規模が変わる。
賃金が変わる。
企業の立地選択が変わる。
労働者の移動が変わる。

こうした変化を、一つの理論モデルの中で説明できれば、地域経済の動きを予測しやすくなる。

つまり、経済学者側はこう考える。

地域の複雑さをすべて入れたら、何が原因で何が起きているのか分からなくなる。だから、まずは要素を削ぎ落とし、集積や分散を生む基本的なメカニズムを取り出す必要がある。

ここに、経済地理学と空間経済学の根本的な違いがある。

経済地理学は、地域を複雑なまま見ようとする。
空間経済学は、複雑な地域から基本的な力学を取り出そうとする。

この違いが、両者の対立を生んだのである。

4. 同じ山を、違う登山口から登っている

だから、この二つは、親子というより、同じ山を違う登山口から登ってきた学問だと考えた方がよい。

見ている山は同じである。

都市はなぜ生まれるのか。
産業はなぜ集まるのか。
地方と中心地の差はなぜ広がるのか。
交通網の変化は地域をどう変えるのか。
地域に残った歴史は、現在の経済活動をどう方向づけるのか。

しかし、登り方が違う。

空間経済学は、経済学の側から登る。
経済地理学は、地理学や地域研究の側から登る。

空間経済学は、要素を削ぎ落として、数理モデルを作る。
経済地理学は、要素を集めて、地域の文脈を読む。

空間経済学は、どこでも成り立つ一般的な法則を探す。
経済地理学は、その場所にしかない歴史と構造を探す。

空間経済学は、「条件が変わったら、次に何が起きるか」を見る。
経済地理学は、「過去に何があり、それが現在の場所にどう残っているか」を見る。

つまり、空間経済学は未来条件文に近い。

もし輸送費用が下がれば、企業は中心地に集まるかもしれない。

一方、経済地理学は現在完了形に近い。

過去の産業発展が、現在の地域構造を形づくってきた。

この二つの違いは、まさに時間の扱い方の違いでもある。

5. 対立のあとに見えてきた両輪の必要性

1990年代から2000年代にかけて、新経済地理学と経済地理学の間には、かなり鋭い対立があった。

経済地理学者は、数理モデルだけでは地域の厚みが消えると批判した。
経済学者は、事例研究だけでは一般的なメカニズムが見えにくいと考えた。

しかし現在では、どちらか一方だけでは不十分だという認識が広がっている。

空間経済学だけでは、地域の歴史、制度、文化、生活圏が見えにくい。
経済地理学だけでは、条件が変わったときに地域経済がどう動くのかを、明確なモデルとして示しにくい。

たとえば、新幹線が開通した地域を考える。

空間経済学は、移動時間の短縮、輸送費用の低下、市場規模の変化、企業立地の変化を考える。そこから、人や資本が中心都市に吸い上げられるのか、それとも地方都市に新しい機会が生まれるのかを分析する。

経済地理学は、その地域がもともとどのような歴史を持っていたのかを見る。かつての街道、港、城下町、工場、学校、行政区域、地元企業のネットワークが、現在の人の移動や進路選択にどう残っているのかを読む。

同じ新幹線でも、どの地域に通るかによって結果は変わる。

それは、現在の条件だけで地域が動くわけではないからである。地域は、過去から作られた構造の上で、新しい条件を受け止める。

だから、地域を見るには、両方の視点が必要になる。

空間経済学は、これから起きる動きを見る。
経済地理学は、これまでの時間が残した地形を見る。

この二つを重ねたとき、地域は初めて立体的に見えてくる。

6. 学問同士のけんかが教えてくれること

空間経済学と経済地理学の対立は、単なる学者同士の縄張り争いではない。

それは、地域を見るときに何を重視するのかという、ものの見方の対立である。

きれいなモデルを作るのか。
複雑な現実を残すのか。
普遍的な法則を探すのか。
その場所にしかない歴史を読むのか。
未来の変化を予測するのか。
過去が現在に残した形を読み解くのか。

この対立は、簡単には決着しない。

しかし、決着しないからこそ意味がある。

数式だけでは、地域に住む人の生活は見えない。
事例だけでは、地域を動かす大きな力学が見えにくい。

空間経済学と経済地理学は、水と油のように対立してきた。しかし、地域という複雑な対象を見るためには、その両方が必要になる。

一方は、条件が変わったときの動きを描く。
もう一方は、過去から現在までに積み重なった意味を読む。

地域とは、ただの場所ではない。

そこには、交通費があり、市場があり、企業があり、学校があり、道路があり、家庭があり、過去の産業があり、かつての進路があり、今も残る生活の型がある。

空間経済学は、その上で次に何が動くかを見る。
経済地理学は、なぜその場所が今その形をしているのかを見る。

この二つを重ねると、地図は単なる平面ではなくなる。

地図の上に、時間が見えてくる。