科挙の亡霊と東大の近代性
中国・朝鮮・日本で「学歴」の重みが違う理由
中国の大学、とくに清華大学や北京大学の難度を考えるとき、単に「人口が多いから競争が激しい」と見るだけでは足りない気がする。
もちろん人口差は大きい。中国の大学入試である高考は、毎年一千万人を超える規模の受験者が参加する巨大な試験である。その中で清華大学や北京大学に入るというのは、倍率だけを見ても、日本の東大入試とは母集団の桁が違う。
しかし、もっと大きいのは、その試験に社会が与えている意味である。
中国には、科挙の歴史がある。
科挙とは、単なる入学試験ではない。国家の官僚を選び、支配層を選び、家の運命を変える試験だった。学問を修め、古典を読み、文章を書き、試験に通った者が国家を動かす資格を得る。そこには、試験によって人間の社会的位置が決まるという強烈な制度感覚があった。
だから中国では、学問や試験は、単なる「勉強ができるかどうか」の問題ではなかった。
試験に通ることは、家の名誉であり、階層上昇であり、国家に認められることであり、ときには一族全体の運命を変える出来事だった。科挙に合格するということは、現代風に言えば、個人の成功であると同時に、家門の社会的位置を一気に押し上げる事件だった。
この感覚は、制度としての科挙がなくなったあとも、完全には消えない。
現代中国の清華大学や北京大学への合格には、どこか科挙の亡霊のようなものがまとわりついている。もちろん現代の大学入試と前近代の科挙は同じではない。しかし、試験によって人生が変わる、試験によって家の地位が上がる、試験によって国家的人材として認められるという感覚は、かなり深いところで連続している。
だから清華・北大は、単なる「偏差値の高い大学」ではない。
それは、現代中国における国家的選抜の頂点であり、家族の期待が集中する場所であり、試験によって自分の価値を証明する舞台でもある。日本で言えば東大がそれに近い位置にあるが、清華・北大には、より科挙的な重さがある。
朝鮮半島も、この流れと無関係ではない。
朝鮮王朝は中国の制度と儒教文化を深く取り入れた。両班社会において、儒教的教養や科挙は支配層の正統性と強く結びついていた。もちろん実際には、家柄、派閥、財力、血縁、地域などが複雑に絡む。建前だけで社会が動くわけではない。
それでも、支配層とは学問を修めた者である、官職に就く者は儒教的教養を持つべきである、試験に通ることは家の名誉である、という感覚は非常に強かった。
その意味で、中国や朝鮮半島の学歴信仰は、現代になって突然生まれたものではない。近代学校制度や大学制度が入る前から、すでに「試験」と「学問」と「社会的上昇」が強く結びついていた。
これに対して、日本はかなり違う。
日本にも律令国家の時代には、中国風の官僚制や学問制度が入ってきた。しかし、それが中国のような本格的な科挙社会として根づいたわけではなかった。平安期になると、中央貴族社会では家格、血筋、縁戚関係、出自が大きな意味を持つようになる。
藤原氏の摂関政治などは、その典型である。
どれほど学問ができるか、どれほど試験に強いかというより、どの家に生まれたか、どの家と結びついているか、誰に取り立てられるかが重要だった。つまり日本では、早い段階から、試験による官僚選抜よりも、家柄・縁故・出自・世襲の力が強くなった。
さらに武士の時代になると、日本社会の中心は、文人官僚の試験選抜ではなく、武家の家職、主従関係、所領、軍事的支配へと移っていく。江戸時代には藩校もあり、儒学も盛んになり、寺子屋による庶民教育も広がった。だが、それは中国の科挙のように、全国統一試験で国家官僚を選抜する制度ではなかった。
ここに、日本と中国・朝鮮の大きな違いがある。
中国や朝鮮では、試験に通ることが、支配資格や家門の名誉と深く結びついていた。
日本では、出自、家、縁故、身分、主従関係が、社会的位置を決める力をかなり長く持っていた。
だから日本の学歴社会は、古代から連続した科挙型の学歴社会ではない。
日本が強い学歴社会になったのは、主に近代以降である。明治以後、学校制度、官僚制、軍隊、帝国大学、高等文官試験、そして戦後の企業社会が結びつくことで、学歴が強い意味を持つようになった。
東大は、その頂点に立った。
しかし、日本の東大信仰は、中国の科挙的な試験信仰とは少し質が違う。東大に入ることは、官僚、大企業、研究者、法曹、医師、エリート職への入口になる。けれども、それはどちらかといえば、近代日本の組織所属型の学歴信仰である。
いい学校に入れば、いい組織に入れる。
いい組織に入れば、安定した人生コースに乗れる。
だから学歴は人生の保険になる。
これが日本型の学歴信仰である。
一方、中国の清華・北大、あるいは韓国のソウル大学のようなトップ大学に向かう圧力には、もっと古い試験文明の匂いがある。試験に通ることで天下に名を示す。家の階層を上げる。国家的人材として選ばれる。合格が個人だけでなく家族全体の名誉になる。
この違いはかなり大きい。
東大は、日本近代国家の頂点にある大学である。
清華・北大は、現代国家の大学であると同時に、どこか科挙文明の亡霊を背負った選抜装置でもある。
もちろん、これは東大が簡単だという話ではない。東大は日本では圧倒的に難しい大学であり、合格者の学力水準も高い。ただ、難度を考えるときには、単に入試問題の難しさや偏差値だけではなく、その試験にどれだけ社会的意味が集中しているかを見なければならない。
日本では、東大に落ちても、早慶、一橋、東工大、旧帝大、医学部、地方国立、有名私大、大企業内の出世など、いくつもの迂回路がある。もちろん差はあるが、人生の道が完全に一本に絞られているわけではない。
しかし、中国や韓国では、トップ大学に社会的意味がより強く集中しやすい。序列の頂点が細く、そこに家族の期待、社会的名誉、国家的選抜、階層上昇の夢が一気に集まる。
その結果、中国のトップ大学の難度は、単なる学力競争を超えて、社会全体の上昇競争のようなものになる。
ここに、歴史的背景が関係している。
科挙のある社会では、試験は単なる試験ではない。試験は、人格の証明であり、家門の証明であり、国家に認められるための儀式でもある。だから、近代大学制度が入っても、大学入試は単なる進学制度では終わらない。古い試験信仰が、現代の大学序列の中に姿を変えて残る。
日本には、その科挙的な連続性が弱い。
日本の学歴社会は強い。だが、それは科挙型ではない。日本の学歴は、支配資格というより、所属先選別の意味が強い。どの組織に入るか、どの会社に入るか、どの官庁に入るか、どの安定コースに乗るか。そのための切符として学歴が使われてきた。
だから同じ「学歴社会」と言っても、中国・朝鮮系の学歴社会と、日本の学歴社会は、内側の構造が違う。
中国・朝鮮系の学歴社会は、試験によって身分を上げる社会である。
日本の学歴社会は、学歴によって所属先を選別する社会である。
この違いを見ないと、東アジアの大学序列はうまく理解できない。
中国の清華大学や北京大学が、東大よりも難度の序列で上に見えることがあるのは、単に人口が多いからではない。そこには、試験に通ることが家の運命を変え、国家的人材として認められるという、長い歴史的背景がある。
つまり、中国のトップ大学入試は、現代の大学入試でありながら、どこかで科挙の後継者でもある。
一方、東大は日本近代の頂点である。官僚制、学校制度、企業社会の中で作られた、近代日本型エリート選抜の象徴である。
この二つは似ているようで、同じではない。
東大は近代日本の最高学歴である。
清華・北大は、現代中国の最高学歴であると同時に、科挙的世界の記憶を背負った最高試験でもある。
だから、中国の大学序列の強烈さを見るときには、偏差値や倍率だけではなく、その背後にある「試験で人生を変える」という文明的な感覚まで見たほうがいい。
そこまで含めて見ると、中国のトップ大学が東大よりもさらに重く、さらに細い入口に見えるのは、かなり自然なことだと思う。