インターネットの初期には、Webページは今よりずっと素朴なものでした。

ページを開く。文章を読む。リンクを押す。別のページへ移動する。基本的にはそれだけです。

ところが、Webが少しずつ生活に入り始めると、ただページを読むだけでは足りなくなってきました。懸賞に応募したい。掲示板に書き込みたい。メールマガジンに登録したい。商品を買いたい。会員ページにログインしたい。

そうなると、毎回同じ問題が出てきます。

名前を入れる。メールアドレスを入れる。住所を入れる。前に入力した内容をまた入れる。ページを移動したら、途中までの操作が消える。

初期のWebは、読者のことをほとんど覚えてくれませんでした。昨日来た人も、今日初めて来た人も、サーバーから見れば基本的には「いまページを取りに来た誰か」にすぎません。

これはHTTPという通信の仕組みが、もともと「状態を持たない」設計だからです。専門的には、こうした性質を「ステートレス」と言います。乱暴に言えば、毎回初対面ということです。

一度ページを渡したら、それで通信はいったん終わる。次のページを取りに来たとき、その人がさっきの人なのか、別の人なのか、そのままではわからない。

人間の店なら、店員が顔を覚えています。

「あ、さっきのお客さんですね」
「先ほどカゴに入れた商品はこちらですね」
「前回と同じ住所でいいですか」

と言えます。

しかし、初期のWebにはその記憶がありませんでした。

クッキーとは、Webに「前回」を作る仕組みである

そこで登場したのが、クッキーです。

Cookie、つまりWeb Cookieは、サーバーがブラウザに送る小さなデータです。ブラウザはそれを保存し、次に同じサーバーへアクセスするときに送り返します。

この仕組みによって、Webは少しだけ記憶を持てるようになりました。

この人は前にも来た。
この人はログイン済みである。
この人の買い物カゴには商品が入っている。
この人は前回この入力をした。
この人にはこの設定を使えばいい。

クッキーは、Webに「前回」を作る技術でした。

HTTP Cookieは、1990年代半ばにNetscapeのLou Montulliによって考案されたとされています。当時のWebには、個々のユーザーを識別する仕組みが十分ではありませんでした。ショッピングカート、ログイン、個別化された表示を実現するには、Webサイト側が「この人は前にも来た人だ」とわかる必要があったのです。

この出発点が面白いところです。

クッキーは、最初から人を追いかけ回すための不気味な広告技術として生まれたわけではありません。むしろ最初は、Webの不便さを解消するための技術でした。

買い物カゴが消えない。ログイン状態が保たれる。同じ入力を繰り返さなくて済む。初めての訪問者か、再訪問者かがわかる。

このころのクッキーには、どこか牧歌的な響きがありました。

「クッキーありますよ。食べますか?」

そう言われると、今なら「個人情報を取られるのか」「広告に追いかけられるのか」と身構えるかもしれません。しかし初期の感覚では、もう少し違いました。

毎回入力しなくてもいい。前回の続きから始められる。サイトがこちらを少し覚えてくれる。

これは、Webが単なる電子パンフレットから、少しずつ「サービス」へ変わっていく過程でした。

懸賞サイトの人気と、入力を覚えてくれる便利さ

日本の初期Webでも、懸賞サイトは人気がありました。

これはとても象徴的です。

初期のネットユーザーにとって、ネット通販はまだ少し怖いものでした。クレジットカード番号を入れるのは不安です。住所を入力するのも抵抗があります。そもそも「インターネットで買う」という生活習慣が、まだ社会に根づいていませんでした。

しかし、懸賞なら話が違います。

無料でもらえるかもしれない。応募するだけでよい。ネットを使う理由がわかりやすい。商品を買わなくても参加できる。

懸賞サイトは、初期のWebにおける「入力行為」の入口でした。

名前、住所、メールアドレスを入れる。応募ボタンを押す。当たるかもしれないと期待する。

ここでクッキー的な発想が意味を持ちます。毎回同じ情報を入力するのは面倒です。前に来た人だとわかれば便利です。入力フォームが少しでも楽になれば、利用者はまた来やすくなります。

つまり、初期のクッキーは、Web上で人間の行動をなめらかにするためのものでした。

Webは「覚える」だけでなく「すすめる」ようになった

ところが、ここからWebは大きく変わっていきます。

最初は、サイトが人を覚える。次に、サイトが人の行動を蓄積する。さらに、蓄積された行動から、その人の好みを推測する。最後に、その推測をもとに商品や広告を出す。

この流れの代表が、Amazonの「おすすめ」です。

Amazonの推薦システムは、クッキーだけで動いているわけではありません。ここは少し注意が必要です。

クッキーは主に「このブラウザのこの人は誰か」「このセッションはどれか」を識別するために使われます。一方、「あなたにおすすめの商品」を作るには、購入履歴、閲覧履歴、評価、他のユーザーの行動、商品同士の関係など、もっと大きなデータ処理が必要になります。

つまり、クッキーは鍵のようなものです。その鍵で「この人」を識別し、その先にあるデータベースや推薦アルゴリズムが「この人には何を見せるか」を判断します。

昔のクッキーは、こう言っていました。

「あなたは前にも来ましたね」

Amazon型の推薦は、さらに進んでこう言います。

「あなたはこれを買いましたね」
「これを買った人は、こちらも見ています」
「この商品とこの商品は関係が深そうです」
「あなたには、次にこれが合うかもしれません」

Webは、記憶するだけでなく、推測するようになったのです。

これは非常に大きな変化です。

懸賞サイトの時代には、ユーザーは自分から応募しました。欲しい景品を選び、フォームに入力し、送信しました。

ところが、Amazon型のWebでは、サイトのほうから商品を差し出してきます。

「あなたにおすすめの商品」
「この商品を買った人はこんな商品も買っています」
「もう一度購入しませんか」
「あなたの閲覧履歴に基づくおすすめ」

このとき、Webは単なる棚ではなくなります。棚のほうが、こちらを見て並び替わるようになる。

おすすめは便利だが、広告追跡は不気味に見える

昔の商店では、顔なじみの店主が客の好みを覚えていました。

「この人は甘いものが好きだ」
「この人は前にこの本を買った」
「この人なら、こっちも好きかもしれない」

Amazonの推薦は、それを巨大な規模で、機械的に行ったものだと言えます。

もちろん、実際には人間の店主の記憶とは違います。温度のある記憶ではなく、行動データの相関です。しかし利用者から見ると、「このサイトは自分の好みをわかっているように見える」という経験になります。

ここまでは、まだ多くの人が便利だと感じやすい領域です。

問題は、この「覚える」仕組みが、一つのサイトの中を超えていったときです。

Amazonの中でAmazonが自分の購入履歴をもとにおすすめを出す。これは理解しやすい。ログインして買っているのだから、サイトが履歴を持っているのは自然に見える。

しかし、別のサイトを見ていたのに、前に見た商品の広告が出てくる。旅行サイトを見たあと、ニュースサイトでホテル広告が出る。ある商品を検索したあと、関係ないページでもその商品の広告が追いかけてくる。

ここで登場するのが、サードパーティCookieの問題です。

ファーストパーティCookieは、自分が訪れているサイトが使うCookieです。たとえば、ある通販サイトがログイン状態やカート情報を保つために使うものです。

サードパーティCookieは、自分が直接訪れているサイトではなく、そのページに埋め込まれた別の事業者、たとえば広告配信会社などが設定するCookieです。

ここで、クッキーの性格が変わります。

最初は、サイトが自分の中でユーザーを覚えるための仕組みでした。しかし広告ネットワークが広がると、複数のサイトをまたいでユーザーの行動をつなぐための仕組みになっていきます。

この転換によって、クッキーは完全に別の顔を見せます。

「便利な記憶メモ」だったものが、「行動を追跡する識別子」になっていく。

もちろん、技術としてのクッキーが急に悪くなったわけではありません。クッキーはただ、小さなデータを保存して返すだけです。

問題は、それを何に使うかです。

クッキーは「覚える技術」から「測る技術」になった

ログイン状態を保つ。買い物カゴを維持する。フォーム入力を楽にする。サイトの表示設定を覚える。

これは便利です。

しかし、どのサイトを見たか、どの商品を見たか、どんな広告をクリックしたか、どんな興味を持っていそうか、どんな属性の人間として分類できそうか。

こうした情報を、複数サイトにまたがって集め、広告配信に使うようになると、クッキーはプライバシー問題の中心に出てきます。

この変化は、Webの商業化そのものと重なっています。

初期のWebでは、サイトを訪れる人はまだ少数でした。ホームページは個人の表現の場であり、リンク集であり、趣味の小屋でした。

やがて、メールマガジン、懸賞サイト、アフィリエイト、ネット通販、検索エンジン、ポータルサイトが伸びていきます。

人が集まる場所には広告がつきます。広告がつくと、広告効果を測りたくなります。効果を測るには、誰が見たか、誰がクリックしたか、誰が買ったかを知りたくなります。

そこで、クッキーは「覚える技術」から「測る技術」へ広がります。

そして、測る技術は「予測する技術」になります。

この人は次に何を買いそうか。
この人はどんな記事を読みそうか。
この人はどの広告に反応しそうか。
この人はどの集団に似ているか。

Amazonのおすすめも、広告のターゲティングも、根っこのところでは同じ方向を向いています。

人間の行動をデータとして蓄積し、そのデータから次の行動を予測し、予測に合わせて画面を変える。

ただし、両者には重要な違いがあります。

Amazonのおすすめは、基本的にはAmazonというサービスの中で完結しています。利用者も「Amazonにログインして買い物をしている」という意識を持ちやすい。

一方、広告のターゲティングは、利用者が意識していない場所で起こりやすい。ニュースサイトを読んでいるだけなのに、裏側では広告ネットワークが動いている。自分が訪れた複数のサイトの行動が、広告表示の材料になる。

だから、同じ「あなたに合わせる」でも、受け取られ方が違います。

Amazonのおすすめは、便利に見える。追跡広告は、不気味に見える。

この差は、技術の差だけではありません。意味の差です。

自分がそのサービスの中で行動した結果としておすすめされるなら、納得しやすい。しかし、自分が意識していない場所で行動がつながれていると感じると、監視されているように感じる。

クッキーの歴史は、この「便利」と「不気味」の境界線が動いてきた歴史でもあります。

クッキーとは、Webが人間を覚えるようになった歴史である

クッキーは、Webに記憶を与えました。

それによって、ログインができるようになりました。買い物カゴが維持できるようになりました。懸賞応募や会員登録が楽になりました。Amazonは購入履歴や商品同士の関係から、次に買いそうなものをすすめられるようになりました。広告はユーザーの行動をもとに、関心に合いそうなものを表示するようになりました。

一つひとつは、自然な発展です。

不便だから覚える。覚えたから分析する。分析できるから予測する。予測できるから表示を変える。表示を変えられるから、売上や広告効果を高める。

この流れは、技術としてはとても滑らかです。

けれど、人間の感覚から見ると、どこかで急に段差が生まれます。

毎回住所を入力しなくていい。これは便利です。

前に見た商品がもう一度出てくる。これも便利なことがあります。

しかし、どこへ行っても同じ広告が追いかけてくる。これは不気味です。

自分の好みをわかってくれる。これは嬉しいことがあります。

しかし、自分の好みが勝手に分類され、広告の対象として扱われる。これは落ち着かない。

クッキーの歴史とは、Webが人間を覚えるようになった歴史です。同時に、人間がWebに覚えられることの意味を考え始めた歴史でもあります。

便利な記憶は、いつ不気味な記憶に変わるのか

初期のWebでは、クッキーは小さなお菓子のような名前を持つ、かわいらしい便利機能でした。

「クッキーありますよ。食べますか?」

そんな言い方が似合う時代がありました。

しかし、その小さなクッキーは、やがて巨大な広告ネットワーク、推薦システム、行動分析、個人化された画面表示へとつながっていきました。

今、私たちが見ているWebは、全員に同じページを見せる場所ではありません。同じサイトを開いても、表示される広告、すすめられる商品、並ぶ情報は、人によって違います。

Webは、私たちを覚えています。そして、覚えた私たちに合わせて姿を変えています。

それは便利です。同時に、少し怖い。

クッキーとは、その便利さと怖さの境界にある技術です。

最初は、Webに記憶を与えるための小さな仕組みでした。しかし、Webが社会の中心に近づくにつれて、その小さな記憶は、人間の嗜好、行動、欲望、購買、広告、プライバシーを結びつける大きな仕組みになっていきました。

懸賞サイトで住所を何度も入力しなくて済む。Amazonが「あなたにおすすめの商品」を出す。広告がこちらの興味に合わせて表示される。

この三つは、別々の出来事のように見えます。

けれど、底には同じ流れがあります。

Webが、人間を覚えるようになった。

そして、人間を覚えたWebが、人間の前に何を出すかを選ぶようになった。

クッキーの歴史は、その始まりの物語なのです。

参考