動かせないものが地方を救う

高原野菜と雪国リゾートに見るストロー効果の逆転

交通網の整備は、しばしば地方にストロー効果をもたらす。

新幹線、高速道路、橋、空港などによって地方と巨大都市が結ばれると、移動時間や輸送費用は下がる。すると、資本、若者、企業機能、消費需要のように移動しやすい資源は、より大きな市場や雇用機会を持つ巨大都市へ流れやすくなる。

これは、空間経済学が示すストロー効果の基本的な方向である。

しかし、すべての資源が一方的に吸い上げられるわけではない。地方側に代替されにくい資源がある場合、交通インフラは、むしろ巨大市場の需要を地方へ接続する回路にもなる。

ここで重要になるのが、「動かせない資源」である。

気候、地形、土壌、積雪、景観、水、標高といった自然環境は、人材や資本のように都市へ移転できない。場所に固定された資源であり、その価値は、交通インフラや物流技術によって巨大市場と接続されたときに初めて顕在化することがある。

それまで十分な市場価値を持たなかった地域条件が、交通インフラや物流技術によって大都市市場と接続されることで、新しい産業として成立する。場合によっては、従来は不利と見なされていた条件が、地域の主要産業へと反転する。

このメカニズムを、長野県川上村の高原野菜と、新潟県越後湯沢の雪国リゾートを例に考えてみる。

川上村の高原野菜

冷涼な気候が市場価値へ転換されるまで

長野県川上村は、八ヶ岳の東麓に位置する高冷地であり、現在では全国有数の高原野菜産地として知られている。とくにレタス生産では、日本を代表する産地の一つである。

しかし、この地域条件は、最初から経済的な強みだったわけではない。

近世から近代にかけての日本では、土地の豊かさはしばしば米の生産力によって測られた。その基準で見れば、高冷地である川上村は、必ずしも有利な土地ではなかった。標高が高く、冷涼で、稲作には制約が大きい。従来の農業経済の枠組みでは、不利な条件を抱えた地域だったのである。

川上村は標高一一〇〇メートル以上の高地に位置し、冷涼な気候のため、稲作には大きな制約があった。かつては雑穀、林業、出稼ぎなどを組み合わせながら生活を支える地域であり、現在のような高収益農業地帯ではなかった。

つまり、川上村の冷涼な気候は、稲作中心の経済においては不利な条件だった。

ところが、この不利な条件は、交通インフラと物流技術によって意味を変える。

時間距離の短縮と「鮮度」の市場化

昭和一〇年に小海線が全通し、川上村は鉄道によって広域交通網に接続された。その後、戦後の食生活の変化、栽培技術の確立、予冷施設の普及、トラック輸送、高速道路網の整備が重なり、高原野菜を大都市市場へ出荷する条件が整っていった。

ここで空間経済学的に重要なのは、単に「作れるようになった」ことではない。

レタスなどの葉物野菜では、鮮度が商品価値を大きく左右する。輸送時間が長く、低温管理も不十分であれば、都市市場へ届けるまでに品質が落ち、商品価値は大きく低下する。したがって、高原野菜を大都市市場に供給するには、単に栽培できるだけでなく、短時間で出荷し、鮮度を維持する物流条件が必要だった。

交通インフラ、トラック輸送、予冷施設、低温物流は、川上村の冷涼な気候を都市市場へ接続する媒介となった。

夏場にも冷涼な高地で栽培できることは、都市近郊の平地農業にはない比較優位になった。とくに夏秋レタスにおいて、高冷地の気候は、大都市市場へ鮮度の高い野菜を供給するための重要な条件となった。

ここでは、東京の気候を川上村へ移すことはできないし、川上村の冷涼な気候を東京へ運ぶこともできない。運べるのは、そこで生産された高原野菜である。交通・物流・予冷技術が整ったことで、冷涼な気候という動かせない地域条件が、都市市場から収入を呼び込む資源へと変化した。

川上村の高原野菜は、交通インフラと物流技術が、冷涼な気候という動かせない地域条件を市場価値へ転換した例として読むことができる。

越後湯沢の雪国リゾート

生活上の制約だった雪が、レジャー資源へ変わるまで

新潟県の越後湯沢周辺は、豪雪地帯として知られる。川端康成の『雪国』の舞台としても有名であり、現在では首都圏から短時間でアクセスできる雪国リゾートの一つとして認識されている。

しかし、雪は最初から観光資源だったわけではない。

越後湯沢を含む新潟県の山間部では、豪雪は長く生活上の大きな制約だった。冬季の移動、農業、物流、労働機会は雪によって制限され、人々は出稼ぎや季節的な生活調整を余儀なくされた。雪は、美しい景観である以前に、地域の生活と経済活動に強い摩擦を与える自然条件だった。

また、関東側との間には三国山脈があり、冬季には交通が大きく制約され、往来は現在よりはるかに困難だった。山脈と積雪は、地域を外部市場から遠ざける強い距離の摩擦として働いていた。

この段階では、雪は地域の富の源泉というより、むしろ生活上のコストだった。

高速アクセスが「雪」を消費財に変える

一九八二年に上越新幹線が開業し、その後、関越自動車道の整備も進んだことで、首都圏と湯沢地域の時間距離は大きく短縮された。現在では、東京から越後湯沢まで上越新幹線で最短一時間強で到達できる。

ここで生じたのは、雪そのものの移動ではない。

新幹線や高速道路は、「雪」を東京へ運んだのではない。雪のない首都圏の人口を、短時間で雪国へ運ぶパイプとして機能したのである。ここでは、動かせない自然条件である雪が、交通インフラによって首都圏のレジャー需要と接続された。

首都圏の住民にとって、豊富な積雪や雪景色、スキー体験は、日常生活の中には存在しない。だからこそ、それはお金を払って体験する非日常の消費財になる。

湯沢周辺には、新幹線以前から温泉やスキー場が存在していた。しかし、上越新幹線や関越自動車道によって首都圏との時間距離が大幅に縮まったことで、雪と温泉を核にしたレジャー産業は、より広い首都圏市場へ強く接続された。

スキー場、リゾートマンション、宿泊施設、飲食、レンタル、交通サービスが組み合わさり、湯沢は首都圏から短時間でアクセスできる雪国リゾートとして再編されていった。

かつて生活に強い摩擦を与えていた雪は、交通インフラによって、観光消費、宿泊需要、不動産投資、雇用を生み出す経済資源へと変化した。

ストロー効果を逆転させる条件

新しい交通インフラが地方を破壊するか、新しい産業を生むかは、地方側が何を巨大市場と接続するかによって変わる。

移動しやすい労働力、標準化された工場機能、どこでも代替可能な商業施設、差別化されていない農産物だけで競争する地域は、交通インフラの整備によって中心都市との比較にさらされやすい。その場合、巨大都市圏の市場規模、資本、人材、流通網に対して不利になりやすい。

一方で、巨大都市の資本がその場へ移すことのできない、地形、気候、積雪、景観、土壌といった場所固定的な資源を持つ地域では、交通インフラの意味が変わる。

移動コストが下がると、中心都市の需要が地方を吸い上げるだけでなく、地方に固定された資源へアクセスする需要も生まれる。動かせない資源を持つ地域では、交通インフラが、その資源を大都市市場へ接続する媒介となり、消費や投資を地方へ呼び込むことがある。

川上村の場合、動かせない資源は冷涼な高地気候だった。
越後湯沢の場合、動かせない資源は豪雪と雪国景観だった。

どちらも、かつては不利な条件として働いていた。

川上村の冷涼な気候は、稲作には不利だった。
越後湯沢の豪雪は、冬季の生活や交通に強い摩擦を与えていた。

しかし、交通インフラと物流技術が整うと、その意味は反転した。

冷涼な気候は、夏場に鮮度の高い高原野菜を都市市場へ供給する条件になった。
豪雪は、首都圏の住民が短時間で体験できる非日常のレジャー資源になった。

ここで起きているのは、ストロー効果の単純な逆転ではない。

動かせるものは中心へ流れやすい。
動かせないものは、接続されたときに中心の需要を呼び込む。

交通インフラの意味は、その地域に何が沈殿しているかによって変わるのである。

動かせない沈殿物の経済地理学

空間経済学は、移動コスト、輸送費、市場規模、需要の分布が変わったとき、地域間の経済活動がどう推移するかを見る。

経済地理学は、その地域にどのような自然条件、歴史、生活、産業、景観が沈殿しているかを見る。

この二つの視点を重ねると、交通インフラの意味は一枚岩ではないことがわかる。

インフラは、地方から人や資本を吸い上げるストローにもなる。
同時に、地方に固定された資源へ都市の需要を接続する導管にもなる。

どちらになるかは、地域が何を持っているかによって変わる。

移動可能で、代替可能で、標準化された資源だけで競争する地域は、中心都市との比較にさらされやすい。

しかし、気候、標高、積雪、景観、土壌のように場所に固定された資源は、都市へ移動できない。交通インフラは、それらを吸い上げるのではなく、それらに都市の需要を接続する。

川上村の高原野菜は、冷涼な気候と鮮度保持の物流が結びついたときに成立した。越後湯沢の雪国リゾートは、豪雪と首都圏からの高速アクセスが結びついたときに拡張した。

新しい交通網が地方にもたらす最大の可能性は、単に「便利になる」ことではない。

それまで不利と見なされていた地域の沈殿物に、新しい市場条件を与え、別の価値として立ち上げることである。

地方を救うのは、どこにでもあるものではない。

その土地から動かせないものが、巨大市場と接続されたときである。

参考資料・関連資料