路地裏に店を構える女性占い師は、かつて「完璧の観相菩薩」と呼ばれていた。

彼女の占いは、単なる顔の造作を見るものではない。筋肉の微細な動き、皮膚の張り、瞬きの周期を読み取る。たとえば、「彼とはうまくいっています」と明るく語る客であっても、その言葉の端で右の口角がほんの1ミリ引きつり、目線がわずかに右下へ泳ぐ物理的な挙動を見逃さない。「あんた、彼との間に言えない不安を隠しているね」と、心の奥底の微細な澱みまで正確に言い当ててきた。

しかし、ここ数年、彼女の占いは外れるようになった。
客の顔のサインを読み取って助言をしても、「えっ、そんなこと思っていませんけど」と怪訝な顔をされる。読み取ったはずの不安や悲しみが、客の実際の行動や運勢とまったく結びつかないのだ。いつしか客足は途絶えがちになり、彼女は「自分の目がついに曇ったのだ」と店を畳む準備を始めていた。

ある晩、一人の若い女性がふらりと店に入ってきた。
「占い、お願いします」

女性の顔には、非の打ち所がない、花が咲いたような明るい笑顔が張り付いていた。目尻は優しく下がり、両方の口角は均等に、美しく上がっている。観相の通りに読めば、一片の曇りもない「幸福の絶頂」だ。

だが、女性の声はひどく掠れ、乾いていた。
「私、もう自分がどうしたいのか、わからないんです」

老占い師は眉をひそめた。言葉の響きと、顔の筋肉の形が完全に分離している。
「あんた、その顔でよくそんな嘘がつけるね。悩みなんかない顔じゃないか」
突き放すように言ったその瞬間、女性の目から、ぽろぽろと大粒の涙がこぼれ落ちた。

それでもなお、女性の頬の筋肉はピクリとも崩れず、口角は完璧な角度で上がったままだった。声を出さずに泣きながら、顔の下半分は「いらっしゃいませ」の笑顔のままなのだ。怒り、悲しみ、絶望。どんな感情が内側で暴れても、外側の「笑顔」という形状記憶が解除されない。

占い師は息を呑み、思わず机越しに手を伸ばし、女性の両手を力強く握りしめた。

氷のように冷たい手だった。小刻みに震え、固く握られた手のひらを開かせると、そこには自分の爪が深く食い込んだ赤黒い痕がいくつも残っていた。顔の筋肉は笑っているのに、手のひらだけが声なき悲鳴を上げていた。

「……あんた、顔を『働く道具』にしちまったんだね」

占い師は悟った。現代の人間は、嘘をついて心を隠しているのではない。生きるために、感情そのものを労働の対価として差し出し、顔の筋肉を強制的に固定しているのだ。心がどれほど泣き叫ぼうと、社会に適応するための「笑顔」という仮面が皮膚と同化し、剥がれなくなってしまったのだ。これでは、顔を見て心を読むことなどできるはずもない。

占い師は、長年頼りにしてきた客の顔からスッと視線を外し、握りしめた冷たい手だけを真っ直ぐに見つめた。

「顔のことはもういい。あの綺麗な笑顔は、あんたの心が着ている立派な仕事着だ。よく頑張って働いてきた証だよ」

占い師は、女性の手のひらを両手で包み込み、自分の体温を移すようにゆっくりと擦った。

「今日は、この手のひらが教えてくれることだけを聞こう。あんたの本当の心は、顔じゃなくて、この冷たい指先にある」

その夜、占い師の小さな店から、久しぶりに客の深い安堵の息が漏れた。
伝説の占い師は、顔を読むことをやめた。代わりに、指先の震え、手のひらの温度、呼吸の深さという物理的な事実だけを通して、現代人の硬直した心を解きほぐす新たな術を手に入れたのだった。

この女性占い師、青山、六本木、原宿あたりでは「完璧の観相菩薩・ぺき姉さん」という二つ名(ふたつな)で呼ばれ、世代を超えた尊敬を集めてきた。

だが、それはあくまで彼女の実力を讃える通り名に過ぎない。日本生まれ、日本育ちの生粋の日本人でありながら、彼女には親から付けられた奇妙な本名があった。その名は、ニコ・チャン・モナリーサ