AIが作る勉強法はなぜ細かすぎるのか
AIに勉強法やトレーニング法を作らせると、一見して完成度の高い、素晴らしい手順が出てくることがあります。
何をするか、どの順番でやるか、何分かけるか、いつ復習するか。そうした手順がきれいに並んだ回答は、学習理論としては極めて正しいものです。
ところが、それを実際の人間が毎日の生活の中でこなそうとすると、かえって動きにくくなることが少なくありません。
理由は単純です。その完璧な方法に「遊び」がないからです。
自動車のブレーキにはある程度の遊びがあり、少し踏んだだけで急に反応しすぎるブレーキは、理屈の上では鋭くても実際には扱いにくいものです。勉強法もそれに似ています。
失敗したときの逃げ道がない。疲れている日の短縮版がない。
こうなると、理論としては正しくても、生活の中では使えなくなります。
機械なら、決められた部品を、決められた順番と力で組み立てれば機能します。
けれども人間は、今日は学校で疲れている、眠い、予定外の用事が入ったなど、毎日の条件が常に変動します。それなのに勉強法だけが機械の組み立てマニュアルのように作られていると、手順を守ること自体が重くなり、勉強を始める前に「計画の管理」で疲れてしまうのです。
完璧さを中和する「ファジー」な余白
そこで役に立つのが、「ファジー」という考え方です。
白か黒か、0か100かで割り切らず、ある程度の幅を持たせる。これを勉強法に入れると、一気に人間向けになります。
ファジーな勉強法では、1つの手順だけをガチガチに決めず、その日の状態に合わせて「最低ライン・標準ライン・余力ライン」を用意します。
たとえば英単語を覚える場合、機械的な指示なら「毎日20個覚え、3回書き、全問テストする」となります。これは予定通りできる日には強いですが、疲れている日には手が止まります。
一方、ファジーな指示なら「元気な日は20個。疲れている日は10個。無理な日は5個だけ見て、隠して言えるか確認する」となります。
数学であれば、最低ラインは「前に間違えた問題を1問解き直す」、標準ラインは「ワークを2ページ進める」、余力ラインは「間違えた問題に印をつけ翌日もう一度解く」といった具合です。
こうしておけば、疲れている日でも完全にゼロにならず、勉強が「できた・できなかった」の二択になりません。
30点の日、60点の日、90点の日という幅が生まれ、家庭学習で最も大切な「続きやすさ」が確保されます。30点でも続いていれば、ゼロよりはるかに強いからです。
なぜ「ファジー」の一言でAIに意図が伝わるのか
では、AIにこうした「人間向けのルーズな勉強法」を作らせたいとき、人間の気分の波や疲労度をいちいち長々と説明しなければならないのでしょうか。
おもしろいのは、AIに対してそうした細かい説明をしなくても、「ファジー要素を入れて」と言っただけで、かなりこちらの意図に近いものが返ってくることです。
これは私のような素人の想像にすぎませんが、「ファジー」という言葉には、機械に人間らしい幅を持たせる設計思想が強く刻み込まれているのかもしれません。
昔、家電などで「ファジー制御」という言葉がよく使われました。強い・弱いと単純に切り替えるのではなく、「ほどほど」「やや強め」といった人間の感覚に近い中間を扱う考え方です。
AIに「もっとゆるく」と言うだけだと、単に手順を減らしがちです。しかし「ファジー」と言うと、急に人間の状態の幅を考慮し始め、その日の状態に応じて動きを変える設計に近づくように見えます。
もちろん、AIの内部に昔のファジー制御がそのまま搭載されていると断定するわけではありません。ただ、言葉としての「ファジー」が、機械に人間的な揺れ幅を持たせる文脈と歴史的に強く結びついているため、AIも意図を拾いやすいのではないでしょうか。
人間の揺れを前提にした勉強法へ
AIは放っておくと、ユーザーの役に立とうとして「抜けのない完璧な手順」を作りがちです。しかし、きっちりしすぎた方法は、最初に崩れた瞬間に使えなくなります。今日は10分だけ、今日は読むだけ、と少し落としても続けられる「少しルーズな余白」がある方が、生身の人間には合っています。
よい勉強法とは、きれいな計画表のことではありません。
完璧な計画を守れなかったから終わりではなく、少し落としても続ける。元気が戻ったら標準ラインに戻す。
AIは完璧な手順を作るのが得意ですが、人間は完璧な手順通りには動きません。だからこそ、AIが出力するものを実用的なレベルに引き下げるには、人間の不完全さを前提にした指示が必要です。
「ファジー要素を入れてください」
この言葉は、AIに対して、機械のためのマニュアルではなく「人間が生活の中で使える方法」を作らせるための、非常に有効な鍵になっているのだと思います。