「不完全」だから美しい。平安貴族の「エモい(=あはれ)」
平安時代の貴族たちは、具体的にどんなものに対して「あはれ(エモい…!)」と心を震わせていたのでしょうか? 今回はその具体的な対象(ターゲット)に迫ってみたいと思います。
彼らが「あはれ」を感じる対象には、ある明確な共通点がありました。それは「永遠ではないもの」「移り変わっていくもの」「不完全なもの」です。
大きく3つのカテゴリーに分けて、彼らの「エモさの源泉」をご紹介します!
1. 自然・四季の移ろい(風景のエモさ)
自然の中で、最も「あはれ」の対象になりやすかったのは、ピーク(満開・快晴)を過ぎたもの、あるいはピークに向かう途中のものです。
- 散りゆく桜・水面に浮かぶ花びら(花筏)満開の桜よりも、風に吹かれてハラハラと散る様子や、散った花びらが水面を流れていく様に、命の短さと美しさを見出しました。
- 秋の夕暮れ清少納言が『枕草子』で「秋は夕暮れ」と記したように、日差しが弱まり、カラスがねぐらへ帰っていく物寂しい風景は「あはれ」の代表格です。
- 雲に隠れがちな月雲ひとつない夜空に浮かぶ満月よりも、雲間から見え隠れする月や、夜明け前に白みかけた空に残る月(有明の月)のほうに、余情や不完全な美しさを感じていました。
- 秋の虫の音・鹿の鳴き声秋の夜長に鳴く虫の音が次第に弱まっていく様子や、秋の山でメスを求めて鳴くオス鹿の悲痛な声は、エモさの極みとされました。
- 枯れ野・初雪生命力が溢れる夏よりも、すべてが枯れ果てた冬の野原や、そこにひっそりと降る初雪の静寂に心を動かされました。
2. 恋愛・人間関係(恋のエモさ)
平安貴族の恋愛は「通い婚(男性が女性の家に通う)」であり、和歌のやり取りが必須でした。思い通りにならない恋こそが「あはれ」の最大のスパイスです。
- 後朝(きぬぎぬ)の別れ夜を共にした男女が、明け方に別れる時の情景。まだ薄暗い中、名残惜しそうに帰っていく男の背中や、残された女の切なさは、和歌の超定番テーマでした。
- 来ない相手を待つ夜(待つ女)「今夜は行くよ」と言われたのに、夜更けになっても相手が来ない。風の音や戸が鳴る音を「彼が来たのかも!」と勘違いしては落ち込む夜の切なさ。
- 色褪せていく相手の心(心変わり)かつてはあんなに燃え上がっていたのに、次第に手紙の頻度が減り、愛情が冷めていくのを感じる過程。
- 身分違いの恋・許されない恋帝の妃との恋など、結ばれることのない障害の多い恋愛に身を焦がすこと。
3. 人生・時間の経過(人生の無常のエモさ)
自分自身の老いや、かつての繁栄が失われた場所を見ることで喚起される「あはれ」です。
- 荒れ果てた家や庭(廃墟)かつては人が集まって栄えていたお屋敷が、主人が亡くなったり没落したりして、雑草が生い茂っている様子。栄枯盛衰の無常観を強く感じさせる対象です。
- 昔の恋人からの手紙(形見)ふとした拍子に、昔もらった手紙や贈り物を見つけた時。「あの頃は良かったな」と過去を追体験する感情。
- 老い・白髪鏡を見て自分の容色の衰えに気づいた時。美しい時代が永遠には続かないという残酷な現実へのため息。
- 出家(世捨て人)悲しい出来事があり、華やかな宮中を離れて髪を下ろし、山奥でひっそりと仏道に生きる人の後ろ姿やその決意。
まとめ:平安貴族は「マイナスの変化」に敏感だった
こうして事例を並べてみると、平安貴族たちが「あはれ」を感じる対象は、「失われていくもの」「欠けているもの」「思い通りにならないもの」に集中していることがわかります。
西洋の伝統的な美意識が「永遠」や「完璧なシンメトリー(左右対称)」を美しいとする傾向があるのに対し、日本の「もののあはれ」は「移ろいゆく不完全なもの」を愛でる文化です。
満開の桜の下でワイワイと宴会をする(陽の感情)だけでなく、散った花びらを見て「あぁ、今年も春が終わるな…」とため息をつく(陰の感情)。
この「陰」の部分にこそ深い美しさを見出し、社会全体でその感性を共有していたのが、平安貴族たちのすごいところであり、「もののあはれ」の正体なのです。